2回読んで、うなづく頷く。
だいぶ前に買ったこの本。
松浦 弥太郎さんの
それからの僕にはマラソンがあった
一度読んだ時は特に気になることも無く
そのまま本棚で眠っていたこの本。
正直に言うと、村上春樹さんの「走ることについて・・・」の文庫本の近くに「マラソン」の文字を見つけたから買っただけだった。
ピンとこなければブックオフ行きになるのに
ずーっと本棚にいたこの本。
だからご縁があったんだと思う。
気になる本と書店で出会い、その本を買い、そして読んでみる。
書店ではピンときたから買うわけで、何もかも忘れて一気に読んでしまう本もあれば、読み進めるうちに途中で「もういいかな」とそれ以上読み進めることさえしなくなる本もある。
そんな時は「あぁ~なんで本屋さんで気付かないんだよ!」と自分に腹立たしくなることもあった。
この本はそういった類の本ではなく、でも一度読んであまりピンとこないまま本棚で眠っていた。
2週間くらい前かな。
たまたま目に留まったんだよね。
この本が。
今度は、
なんで1回目で気付かなかったんだろう。
なんで引っかからなかったんだろう。
と思うくらいやたらと文章に引き込まれ、通勤電車の中で読んでいたので気がついたら一駅乗り過ごしてしまっていた。
「走ること」は自分にとって必要不可欠だと頭ではわかっていても、じつは家を出るときには億劫だなと感じることがあります。
〈中略〉
じつは、この億劫という気持ちは、ランニングに限らず、仕事の場でも暮らしの習慣でも、どんなときにも顔を出します。何か新しい物ごとに取り組むとき、出かけていかなくてはならないとき、やらなければならないのに、後まわししたいな、とか、力をぬいてしまいたいな、という感覚。そういうことは、皆さんにも思い当たるでしょう。
27ページより引用
そうそう後まわし後まわし😆
思い当たることだらけ。
でも、最近はそんなことさえ「そう言えば昔あったなぁ」と思う程度。
「ああ、体を動かして汗をかく――そんな簡単なことを、僕はずっと忘れていたのだな」と心から思いました。もうひとつ、「自分の体力が、ここまで落ちているんだ」と言うことにも、びっくりしました。
21ページより引用
うんうんと頷く自分。
そうそう、自分が走り始めたときも同じふうに感じた。「俺はこんなもんじゃないのに!」
いや、実はこんなもんなんだよ!認めなさいよ!と言うもう一人の自分。
靴のサイズの選び方が好例だと思いますが、自分がいいと思ってしていることは、たいてい、じつはそんなに良いことではありません。
〈中略〉
人のアドバイスを受け入れることができる素直な人、「もっといい方法があるかもしれない、自分の考えは浅はかだから」、いつもそう思っている人は、すんなりと自分のやり方や考え方を手放すことができますが、これはとても大切なことです。
51ページより引用
確かに、大切なこと。
自分の考えを手放す。
出来ている?
素直な気持ちで反省し、それまで自分が培ってきたものを手放して、やり直せる勇気がある人は、まだまだ伸びていくことができると思います。
なぜなら、再び最初から物事を始める勇気によって、自分という人間の器を大きくすることができるからです。
52ページより引用
人間の器。
自分が培ってきたきたものを手放してやり直せる勇気がある?俺。
手放すことができたらまだまだ伸びていくことができる!
「走ること」は身体のトレーニングですが、結局は、心のレッスンにもなっているようです。
53ページより引用
走ることで心を整える。
これからもそうありたいな。
2回読み終えて再び本棚にしまった。
けれど、いつの日にかまた再び読んだら、また違った箇所の文章に頷うなずくんだろうと思う。
読書って楽しい。
同じ本を2回、3回と読んで、また新しい気付き、新しい発見が、自分を成長させてくれると信じたい。
いくつになっても向上心は忘れたくないものだなあと2回読んでつくづく感じた。
さて、
今週末は昨日10km走っただけ。
今日は久しぶりに実家に行って、シックスパッドをやったらふくらはぎが攣りそうになってしまい、夜予定していたジョグはやめた。
あれをやるとふくらはぎがパンパンになる。それだけ運動効果があるってことなんだろう。
シックスパッドのレベル12で悶絶していた私の脇で実家の母は「私はレベル16でなんともないよ」と。
参りました😆
さあ、徐々に走り出すとしますか。