フレディ・スペンサー&ランディ・マモラ
そんな名前、普通は知らないよね。
でもね、バイクレースファンならピンと来る名前でしょ。もう大好きだった。
その時代、ニッポンにも有名なレーサーがいました。その人の名は
平 忠彦
中学・高校校時代の私のヒーロー。
鈴鹿8耐で中々勝てずにいたけど1990年、「エディ・ローソン」と組んで初優勝した時のことは、忘れられない。
4+1ない運動⁉
- オートバイの免許をとらない
- オートバイを買わない
- オートバイに乗らせない
- オートバイに乗せてもらわない
プラス、(オートバイを買ってくれと言う)子供の要求に負けない。
何じゃそりゃでしょ。
昔(今もあるのかな)こんな運動が盛んだった。
この運動のお陰で、私はバイクに乗れなかった。確かに当時、オートバイ事故が多発していた。
弟の同級生もバイク事故で死んだ。
当時16歳だった。
フレディやマモラ、シュワンツなど憧れのライダー達のポスターで私の部屋は埋め尽くされていたけど、結局、バイクの免許は取れなかった。
取らせてもらえる雰囲気じゃなかった。
はじめて原チャリに乗った神津島
時は流れて、24歳の夏。
当時現場監督をしていた会社の社員旅行は、神津島だった。
晴海埠頭から船に乗り、生まれて初めての伊豆諸島へ。
宿に着いてから、下請けさんの社長に誘われレンタルバイク屋さんへ。
そこではじめて、ヤマハJOGと言う原チャリに乗った。
夏だから上半身ハダカで。
エンジンをかけ、恐る恐るアクセルを回すと、あれっ、全然進まない。
前に見たワイン・ガードナーは、もっとアクセル回していたのに。
社長さんいわく、「レンタルバイクだから、アクセル甘いんだよ!」
言われる通り、アクセルをゆっくり回し続けると、スーッと進んだ。
おぉーーっつ!
これがバイクかぁ!
社長は、あっと言う間に彼方へ走り去った。
負けじと、私もアクセル全開!
島だから対向車もなく、原チャリ初心者には、最高の道路だった。
スピードにすぐ慣れ、風をきる爽快感に浸っていた。
その後バイクの免許取ったかって?
実は取ってないんだ。
あれだけ楽しかったんだから、中免とってバイク乗るかと、自分でも思った。
だけど、通勤手段をバイクにした初日に、自爆事故で死んだ親戚がいて、二の足を踏んでいた。実家の両親も大反対だったし。
もう、社会人なんだからいいじゃないか!
ただ、その通勤初日に死んだ親戚は、まだ幼い子供が2人いて、残された奥さんが、相当大変だったのも聞いていたから、やっぱ躊躇した。
今年、48歳。
さすがに今から中免取る気はない。
でもバイクは好きだ。
夏の暑い時期になると、鈴鹿8耐を思い出す。
それと、今は亡き下請けさんの社長と神津島で爆走した原チャリを思い出す。
今年の鈴鹿8耐は、どのチームが勝つのかな。
7月28日の暑い夏のレースが、今から楽しみだ!